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芸術の必要性とは?「至上の印象派展」で思ったこと

こんにちは! 西安堂の森本です。

先日、博多を訪れた際に大宰府天満宮に行きました。天満宮を参拝した後、近くに九州国立博物館があったのでよってみると

なんと

「至上の印象派展」ビュールレ・コレクション がやっていました。

 

これはこの前まで東京展をしていて、行きたいと思ってて行けずじまいだった展覧です。まさか今、九州にきているとは!

偶然とはいえこれも何かの縁、マネ・モネ・ピサロ・ルノワール・セザンヌ・ゴッホなどの本物のアートを鑑賞してきました。

日曜日の昼過ぎでしたが、会場は空いていてとても静かでゆったりとした時間

 

名画をぼーっと眺めているだけで、何か気持ちが落ち着いて心がリラックスしてきます。

ルノワールの『愛しのイレーヌ』 (この絵と「睡蓮」は写真撮影可でした)

 

絵画を眺めながら、その絵を描いた画家の人生に思いを馳せる。

画家は作品を通じて何を伝えたかったのか?
観る者はその絵から何を受け取ることができるのか?

 

 

モネの「睡蓮」2m×4mもある大作です。

 

 

一枚数億円の値が付く絵画と対峙して、私のような素人にはどうしても理解できない作品も数多くある。

そんな高額の価値あるのか?そう思ったことある人は多いのではないでしょうか

 

つまるところ必要性があるのかないのか

「芸術でお腹を満たすことができるのか」貧困で食べ物に困っている人を前にアートに何ができるのか?

痛み、苦しみを抱えている人にアートに何ができるのか?

生きていくうえで芸術・アートは必要なのか?

 

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お腹は満たされないのかもしれません…
痛み、苦しみは軽減されないのかもしれません…
生きていくうえで必要ないのかもしれません…

しかし、必要としている人がいるのも事実です。

以前、患者様からの紹介で障害を持った方たちの作品を集めた展覧会に行ったことがあります。

 

沢山の作品があり、こんなにも絵を描いている人が多いのかと思ったことを記憶しています。

 

 

中央ブースでは絵を描く実演をしていました。

 

車椅子で身体が麻痺している方が、機能の残存している首から上だけで、口で筆を持ち絵を描いていました。

 

その姿には絶望感はなく、何故かこちらが癒され励まされました。

 

 

作者紹介のパネルを読むと、絵を描くことで生きている・絵に生かされているというメッセージが!

 

絵を描くという自己表現によって、自らを癒し、自らを支えている。そしてそれを観る者は必ず何かを感じます。

 

 

絵やそれを描いた人をリアルに見ることにより、芸術の持つ力の素晴らしさを感じました。

 

芸術の力は医療分野では芸術活動を通して治療する精神療法「芸術療法」「アートセラピー」として行われています。

私のような一般の人、凡人の場合はどうか、もう一度問いてみる

芸術は生きていくうえで必要なのか?

 

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必ずしも必要ではないかもしれない・・・

 

でも

芸術があることによって心を充足してくれる、アートがあることで人生は豊かなものになる。
私はそう感じます。

 

絵を写真で見ても伝わってこないんです。何にも伝わってこないから何かを感じたり・考えられないんです。

大事なのはリアルを見ること・触れること、そういう時間をつくること

展覧会や美術館は本物のアートに触れることのできる『いい空間』です。

芸術・アートでも音楽でも、本物に触れるということは自分の心を揺さぶられ、何かしようとする原動力になると思います。

 

『至上の印象派展』▷

東京、福岡のあとは名古屋展があります。この機会を逃すともう日本では観れない絵画ばかりですので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

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